kimurouの部屋

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【週刊少年ジャンプ編集長】歴代の編集長の実績まとめ

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みなさんこんにちは。

 

今回は、週刊少年ジャンプの歴代編集長について・・・

 

なぜ急にこのネタを書こうかなと思ったかというと、僕自身、もうすぐ就職なんですよね。

そこそこ大きめの企業に就職してサラリーマンになるんですけど・・・

 

僕の家族や一族に誰もサラリーマンがいないんですよね~

これマジなんです。日本社会の大半の人たちはサラリーマンなのに、僕の家族に誰もいないという・・・

 

ですから、サラリーマンの実情みたいなものが本当に分からないんです。同期での出世争いとかどうなんかな?とか・・・

 

そこで思ったのが、ジャンプ編集部・・・

 

編集部のお仕事というと、ジャンプの煽り文を考える以外に有名なのが、担当した漫画家さんと一緒に話を考えて、ジャンプの連載までもっていくなどが有名です。

 

やっぱり編集長にまで上り詰める人って、名作を生み出すなどかなり実績のある方なんじゃないかなと・・・

担当した作品を大ヒットさせたりなど・・・

 

『バクマン。』を読んでると、そういった台詞もありましたし・・・

 

ということで、今回は歴代のジャンプ編集長に関してです。

 

 

初代編集長 長野規(1968年~74年)

最も偉大な初代編集長。

 

 今ジャンプで行われている、アンケート至上主義の基礎を作り上げた人物。

また、有名な『友情、努力、勝利』の定義を定めたのもこの人。

 

元々、小学館から来た出版社の人間です。

 

ご存知の方もおられると思いますが、『週刊少年ジャンプ』は今でもある有名な漫画雑誌の中でも後発組だったんです。

 

当時は、発行部数も最大手のマガジンやサンデーに負けていました。

 

そんな中でのスタートだったわけです。

 

アンケート至上主義を作り上げた

元々、大御所作家だからといって人気でもない作品を掲載するのはおかしいという、若手作家の意見を取り入れる形で導入しました。

 

すでに、当時からアンケート結果の読み取りに関して、天才的であり、年齢別、性別別など、いまでも行われている手法を取り入れていました。

 

昭和30年という時代を考えると驚異的です。

 

また、経験則から3話目までで作品の人気がでるかどうかが分かるといい、新連載作品を決めるときは、作家に1話目から3話目までを提出させていました。

 

これも、今なお使われている手法です。また、近年AI技術を導入し分析してみると、この3話目までの判断が正しかったことが、データ上、立証されました。

 


 はだしのゲンの連載

自身も戦争を体験した経験から、戦争体験漫画である『はだしのゲン』の連載を非常にサポートしていました。

 

単純に、アンケート至上主義、売り上げ至上主義ということではありませんでした。

 

2代目編集長 中野祐介(1974年~78年)

『週刊少年ジャンプ』創成期から製作に携わり、初代編集長、長野の元で働きました。

 

体調不良により、ジャンプ編集長を務めたのは実質2年ほどでした。

 

しかし、体調が回復した後は、『ヤングジャンプ』を立ち上げ、初代編集長になりました。『ヤングジャンプ』は、青年向けのマンガ雑誌で、今なお続いている人気雑誌です。

 

3代目編集長 西村繁男(1978年~86年)

『週刊少年ジャンプ』の創成期から携わり、計18年間もの間ジャンプ編集部にいました。

 

長年にわたって、ジャンプ編集部におり、いわゆるジャンプシステムを作り上げました。担当と作家の関係性については、この人の時代にシステムが構築されたといってもいいでしょう。

 

多数の漫画家を発掘したことでも有名。

 

本宮ひろ志、武論尊、ゆでたまごを発掘

編集者時代に、『男一匹ガキ大将』で有名な本宮先生を発掘しました。

 

また『北斗の拳』で有名な武論尊先生に現行の使い方を指南したり、『キン肉マン』で知られるゆでたまご先生を上京させたのもこの人。

 

80年代週刊少年ジャンプを支えた漫画家を発掘していたのがこの人です。

 

当時は、発行部数も右肩上がり。初代編集長、長野が作り上げたアンケートシステムを踏襲しつつ、漫画家発掘に力を入れた、3代目編集長、西村繁男でした。

 

4代目編集長 後藤広喜(1986年~93年)

史上初の集英社生え抜きのジャンプ編集長。

 

この人の時代に、『スラムダンク』や『幽遊白書』などの看板漫画が始まり、90年代の黄金期の下準備を整えました。

 

編集部時代は『アストロ球団』や『ドーベルマン刑事』などを担当し、連載までもっていき、ヒット作まで伸し上げました。

 

まさに当時のジャンプは黄金期。運が良かっただけですが、一番いい時代に編集長になりましたね・・・

黄金期のジャンプに関して自身がまとめた文庫本があります。下からお買い求めください。

 

5代目編集長 堀江信彦(1993年~96年)

一番いい時代と、悪い時代を経験した編集長。

 

在任中に、ジャンプ歴代最高記録である発行部数653万部を達成しましたが、その後『幽遊白書』、『ドラゴンボール』、『スラムダンク』など看板漫画の相次ぐ連載終了により、発行部数は激減。

 

歴代でも唯一、編集長を更迭されます。

 

発行部数の激減の原因に関しては、『ドラゴンボール』などに変わる名作が生まれなかったこと。後継を発掘できなかったことです。

 

しかし、彼自身、何もしなかったわけではなく後継を発掘するため、新人漫画家の育成を目的にした大会を企画したりなど、努力はしていました。

 

『北斗の拳』、『キャッツアイ』、『シティーハンター』をヒットさせる

編集部時代は有能で、数々の作品をヒットに導きました。おそらく、同期の中でも有能編集者だったのではないでしょうか?

 

作家と共に2人3脚で作品を作り上げていくタイプだったよう。

 

『北斗の拳』や『シティーハンター』の実績が買われての編集長就任だったのでは・・・?

 

6代目編集長 鳥嶋和彦(1996年~2001年)

歴代の編集長でも一番有名なのではないでしょうか?

 

この人の最大の功績は『ドラゴンボール』の鳥山明を発掘したこと。

 

96年、週刊少年ジャンプの発行部数が激減していく中、ジャンプ編集長に昇進します。結果的にこの人の時代に、『ワンピース』や『ハンターハンター』、『ナルト』の連載が始まり、2000年代の主力漫画を連載させることに成功します。

 

 

また、元々入社当時、漫画が嫌いだったことも有名で、それが功を奏して誰よりも漫画を冷静に分析することができたのだとか・・・

 

鳥山明を発掘

この人が有名なのは、鳥山作品に実際に出てきているからだと思います。

 

鳥山明曰く、原稿は数えきれないほどボツを食らったとのこと・・・

 

ちなみに『Dr.スランプ』のアラレを主人公にするという案は、鳥嶋のアイデア。

『ドラゴンボール』が連載初期、人気が出なかったとき、あえて主要キャラ以外を排除して、より話を明確にして人気を戻したのも、鳥嶋のアイデア。

 

自分が担当した作品の人気をあげていくことにモチベーションを見出し、徐々に編集の仕事が好きななったとのこと。

 

 

7代目編集長 高橋俊昌(2001年~03年)

この人の時代に、抜かれていたマガジンから発行部数日本一の座を取り戻します。

再び、日本一のマンガ雑誌の座に返り咲きます。

 

この頃は、いわゆる暗黒期に始まった作品が安定して人気を取り始めていた時代で、ある意味、最も安定感のある時代だったとも言えます。

 

しかし、『ワンピース』の新作映画の試写会の席で急に倒れ、急死してしまいます。

 

編集者としての激務が原因と言われています。

 

この人の最大の功績は天才・冨樫義博を発掘したこと。

他にも、『きまぐれオレンジロード』で有名なまつもと泉先生なども発掘しています。

 

8代目編集長 茨木政彦(2003年~08年)

どちらかというと、スクエアジャンプの編集長として有名な茨木。

 

この時代は、僕自身ジャンプを読んでいたのではっきり覚えています。『こち亀』や『銀魂』、『バクマン。』にたびたび出てきてました。

 

バクマン。の作中には、作家さんをスクエアジャンプに勧誘する役柄で登場していました。おそらくリアルな話だったのでしょう(笑)

 

また、新人発掘には積極的で、新人作家だけで争われる『金未来杯』を作ったのはこの人です。今でも毎年行われていますね。

 

 

編集部時代は、ギャグマンガを担当することが多く、他には、森田まさのり先生を発掘したことで有名。

 

9代目編集長 佐々木尚(2008年~11年)

『バクマン。』に登場していたジャンプ編集長です。ちょうど、『バクマン。』連載時代の編集長でした。

 

 

佐々木が編集長を降りて、次の編集長に変わるシーンも『バクマン。』では描かれています。

 

編集部時代は、『るろうに剣心』をヒットに導いたことが有名。『るろうに剣心』に関しては、1話から最終回まで全て担当しました。サラリーマンなので、人事担当がある中、作品の最初から最後まで携わるのは非常に珍しいことだったと思います。

 

 

海外進出に積極的

現在はアメリカのジャンプ編集部で編集長を務めています。

 

早くから、日本の出版業界は頭打ちだと考えていたようで、海外進出に動き出していたようです。サクライタケシ先生の『ジャンプの正しい作り方!』に、アメリカの集英社で元ジャンプ編集長佐々木さんと再会する場面が描かれています。

 


この上のサイトの、『MANGA Plus by SHUEISHA』にも関わっているはずです。

 

10代目編集長 瓶子吉久(2011年~2017年)

 歴代でも割と有能な編集長だったかなと・・・

 

漫画の長期化が蔓延する中、彼の代に、長期連載作だった『こち亀』、『ナルト』、『ブリーチ』、『トリコ』などの長期連載作を終わらせました。

 

そして、ジャンプの連載枠を空け、次世代を担う、『僕のヒーローアカデミア』や『ブラッククローバー』、『約束のネバーランド』など名作を数多く生み出しました。

 

 

ちなみにこの人が、ジャンプ編集部に在籍中に最終回を迎えなかったのは『ワンピース』と『ハンターハンター』だけです。(笑)

 

『バクマン。』でも描かれていましたが、編集者時代に『遊戯王』を世界的ヒットに導いた功績は大きく、それが編集長にまで上り詰める原因になったと・・・

 

確かに、『遊戯王』が導いた経済効果はジャンプ歴代最高だったかもしれません。

 

11代目編集長 中野博之(2017年~)

現在の編集長です。

 

島袋先生を発掘したことで有名です。

デビュー作の『世紀末リーダー伝たけし!』から、島袋先生の不祥事、そして『トリコ』立ち上げに至るまで、担当しました。

 

また、松井先生を発掘したことでも有名で『魔人探偵脳噛ネウロ』の連載を立ち上げました。

 

 

まとめ

やっぱり調べてみると、有能な結果、実績を残した人間が編集長まで上り詰めているといった印象です。

 

人気漫画家を発掘したという実績が昇進に影響を及ぼすのでしょうか?

 

まーこの辺りは運も必要ですね。

 

『バクマン。』で割と詳しく説明がされていますが、編集は3年間実績を残せなかったら、飛ばされるみたいなセリフもありました。

 

サラリーマンの仕事というのはみんなそんなものなのかなと・・・

 

自分もこれから社会に出ていく人間ですから、ちょっと参考にさせてもらいました。

 

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